かえるブログ

発達障害のクソニートがなんとなく始めてみた。

正論が人を傷つける、というお話

「あなたは傷ついている」と伝えることは、とても失礼

 

そう言ってほしい人もいる、それはいいんだけど

 

私は親と関係が悪い。

 

何回か大人に「あなたは傷ついている」と言われた

 

イラッとした。

 

人の気持ちを勝手に分析して伝えるのは失礼

 

私は、「私は虐待されているけれど、強いから平気なんだ」

 

と思いこむことで自分を保っていた。

 

そういう応対の人間に向かって、「傷ついている」と言う。

 

残酷

 

正論では生きていけない。

 

事実はあまり役に立たない。

 

むしろえぐって傷つける。

 

「あなたに興味があるよ」と態度で示して言葉の意図を丁寧に汲んで、相手の居所を探っていけば、自然と相手から話してくれるもの。

 

話してくれたところで、結局分かるのは、その表現の強さでしかない。

 

理解はできないんだけど、理解できないということを分かってあげられる。

 

そばにいるということで、ある部分が楽になるということはある。

神の名のもとに人を傷つける、というお話

友達が亡くなったとき、私もしんどくて、

 

悲しかったけど、自分のことで精一杯で、悲しみにひたりきれなかったと

 

話したら、「それは神さまの優しさだね」と言われた。

 

友達がうつ状態で苦しんでいる時、他の大人が

 

「神さまは乗りこえられる試練しか与えない」と言った。

 

それは、本人が乗りこえたあとで思うことであって、人から言われることじゃない。

 

神も仏もないという状態の人に、神の優しさを説くのは、

 

突き放しているだけ。

 

神がいるかいないかはどちらでもいいけど、目の前の人に

 

よりそうことが本質的だと思う。神を語ることで

 

人を傷つけるのは本質から外れている。

分からない、というお話

「分からない」が分からないということ。

 

人は私の特性を私になって理解することはできない。

 

散々知っていることで、的外れなアドバイスを沢山されてきたけれど、

 

私も、人のことを本当の意味で分かることはできない。

 

頭でそう分かっていても、心がついてこない。

 

たぶん、私に分かるのは「分からない」ことではない。

 

自分が何を分からないのか知らない以上、

 

「分からない」を本質的に理解できることはできない。

 

私に分かることは、「分からない」が分からないということだ。

 

無知の知ではなく、無知の無知の知

 

それでようやく自分の立ち位置を理解できると思う。

中学の時の思い出、のお話

私は、今は落ちついているけど、コミュニケーションに難があった。

 

新学期が始まって1か月もすれば浮いているのが常だったし、

 

挙動不審、衝動的な失言と的外れな行動 問題児。

 

嫌われるのがデフォルト中1の時、授業中ヒマで、私の悪口を言っていた人の数を数えたら24/40だった。

 

自分が何故嫌われるか理解していながら、コントロールができなかった。

 

その中でできることを考えて、嫌われた上でどう立ち回るか。

 

どうやって流れを変えるか考えて動いていた。

 

だから、人見知りすごかったり、コミュニケーションを自分からとらずに人が輪を広げてくれるのを待っているタイプの人にイライラしてしまう。

 

「仲良い子いなくて辛い」と相談されると、「なんで自分で考えて動かないの?」と思ってしまう。

 

一緒に過ごすなかで、その子が周りよりテンポが遅くてついていけないことや、

 

考えるのが苦手なこと、人見知りなことを知っていて、頭ではその子の努力不足じゃないと理解していても、

 

心では割りきれなくて「なんなの?」と思ってしまう。

アドバイスする人たちのお話

「自分に出来ることは人にも出来る」という考え方をする人に、

 

的外れなアドバイスを沢山されてきた。

 

人は違う。

 

想像ができないんだと思う。

 

散々嫌な思いをしてきたけど、私も同じことをしてしまう時がある。

 

言語が得意。人見知りしない。生きづらさへの経験。

 

イライラしてしまう。

 

苦しむのは本人だから、私がイライラするのは筋が通らない。

 

否定されてきたものが屈折して表面化

 

比較して自分を知るのは自然なことだけど

 

人を否定せずにアイデンティティを確立できるようになりたい。

 

 

アドバイスは9割ゴミ

 

「考えを押し付けるな」という考えを押しつけたくなる。

私は小説家にはなれない、というお話 つづき

さっきの文章を、その人に見せてみた。

 

「すげえええ おもしろかった。」

 

相変わらず調子がいい。

 

「つぎは登場人物をかわいい女の子にしてほしい

このままだとおっさんかもしれない。」

 

調子に乗せられて、シャーペンとシャー芯を買ってきてしまった。

 

どうもかわいい女の子です。続きます。

わたしは小説家にはむかない、というお話

「小説書いたら?」

 

なぜかよく言われる。

 

書けるわけがない。

 

仕方ないので、小説を書けるわけがないという文章を書く。

 

まず、何を伝えるかイメージが湧かない。

 

次に、イメージが湧いたとしても、それを伝えるためにどんなエピソードが必要か分からない。

 

最初の構図が描けないのだ。

 

日本語というものは、ふだんから誰もが使っているので、なんとなく書けてしまいそうな気がするけれど、小説という形で物事を伝えるには特殊な技術がいるように思う。

 

最初の骨組みができないまま、なんとなく筆を進めたところで、できるのは、小説に似た何かだ。